本日鮎川誠さんの誕生日。
鮎川 誠さん 日本のロックグループ、シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト。1948年5月2日 生まれで
本日で73歳になられました。おめでとうございます。
福岡県久留米市でお生まれになり、1970年にサンハウスを結成。1978年の解散まで在籍。76年にシーナさんと結婚。1978年のシーナ&ザ・ロケッツを結成。79年にアルファーレコードに移籍し「真空パック」でデビュー。81年、4枚目のアルバム「ピンナップベイビーブルース」はスティーヴ・ダグラスをゲスト・サックスに招き、ミッキーカーチスのプロデュースにより東宝スタジオのライブレコーディングにて発売しています。
シーナ&ザ・ロケッツ/Pin-up baby blues
81年発売の4thアルバム。東宝スタジオのライブレコーディングを行っい、発売されました。
生々しいロックアルバムです。
タイトル曲「Pin-up baby blues」はちょっと悲しげな、夏の終わりを感じさせるミディアムテンポのロックナンバーです。
15才の夏休み
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身長155cmの私は、背を伸ばしたくて、毎日牛乳をパックで買って飲んでいました。
1981年9月5日にシーナ&ザ・ロケッツ/Pin-up baby bluesが発売されました。
暑い夏が終わり、秋の気配が感じられる頃でした。
初めて手にしたエレキギター
![](https://tomochin39.com/wp-content/uploads/2021/05/guitar-1245903_640.jpg)
19才の時、友人から譲ってもらった、黒のヤマハのレスポールタイプのギターでした。このギターは学生時代ずっと使っていました。初めて東京のライブハウスに出た時も、そのギターを使いました。
めんたいロック
![](https://tomochin39.com/wp-content/uploads/2021/05/hakataniwaka_man.png)
70年代後半から80年代前半に博多を中心に活動していたバンドが、ぞくぞくとデビューを果たし、総して、めんたいロックと呼ばれていました。
- ロッカーズ
- ルースターズ
- サンハウス
- ザ・モッズ
- ARB
- シーナ&ザ・ロケッツ
これらのバンドが好きで、カバーバンドもやりました。
好きが講じて、聖地巡礼しようと大学4年の夏休みに青春18切符で博多まで旅しました。
(余談ですが、この旅に行く日の昼間に、三軒茶屋でボガンボスのどんとさんとすれ違いました)
私が行ったのが89年でしたので、もう博多にはめんたいロックの面影は感じられませんでした。
5日近く博多のカプセルホテルに滞在していた時、ライブを2本見ました。
のりにのっていた、ニューエストモデル
解散直前の、ミュートビート
後者のミュートビートは、博多のヴィブレという施設のライブハウスという、狭い空間で、ダブマスターXのダブ処理をされた、ミュートビートを体験することができました。
これから書こうと思っているネタの1つですが、
人生で衝撃を受けたライブベスト2が
- ミュートビートの博多ライブ
- あぶらだこ 日清パワーステーション
その一つを体験できたのが、青春18切符での博多への旅の時でした。
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